謎だらけ、月の構造


アポロ15号撮影(1971年7月26日−8月7日)のハドリー・デルタ山


ハドリ−谷へと歩いていくディビッド・スコット、中央のハドリー・デルタ山と左のハドリー山はいずれも”雨の海”底からの高さが15000フィート(4600m)というアペニン山脈に連なっている。八セルブラッド70mm、白黒ネガ、ジェイムス・アーウイン撮影
アポロで使われた八セルブラッド


ジム・ア-ウインによるジュネシスロックの発見

NASA(1972年1月12日)刊行 『アポロ15号』より
 1971年7月26日早暁「明確な意図」を持った3人の宇宙飛行士ジェームス・アーウイン、デイビッド・スコット、アルフレッド・ウオーデンが、現在まで最強のサターン5号-アポロ宇宙船に乗り込み、ケープケネディから飛び立った。160キロ上空の地球軌道を3時間飛行した後、彼らはサターン第2段ロケットを6分間噴射して速度を上げ、月へのコースに乗った。7月28日、アポロ15号は月の引力圏へ滑り込み、朝になってスコット、アーウイン両飛行士は「ファルコン」に乗り移って司令船から分離した。 3時間後、月着陸船は着陸エンジンに点火して下降を開始、12分後の1971年7月30日、2人のアポロ飛行士は地球の唯一の衛星である月に着陸した。
 翌朝の7月31日午前9時、着陸船は内部減圧を行った。スコット飛行士がファルコンの4段の階段を降り、続いてアーウイン飛行士が降りた。彼らは月面に降り立った7番目と8番目の宇宙飛行士となった。
 スコット船長の最初の言葉は意味深いものだった。地上の我々は、彼の言うままを聞いた。「私は驚きに満ちて、この未知のハドリー谷に立ち、我々の本性の中に基本的な真実があるように思う。人間は探検をすべきであり、そしてこの探検は最高のものである」
 アーウインは短いが、若者らしくぶっきらぼうに、「やあ、外はビューティフルだよ、まったく!」と叫んだ。月面滞在3日間の最初の目的は、月面車を運転して8km離れたハドリー谷と4000mの高度をもつアペニン山脈のふもとまで行くことだった。



 ハドリー谷はアペニン山脈と平行して伸び、この谷は「絶望の沼」と呼ばれる暗く広大な地域で断ち切れている。もちろん月に沼地などないが、一見沼のように見えたので科学者たちが気まぐれに名付けたのである。
月面車による月面活動(EVA)の第1回目に、彼らはアペニン山脈で科学的な大発見をした。そして、これまで採取した中ではもっとも古いと思われる岩石を集めた。
 彼らは地球との交信を保ち、見るものすべてを科学者たちに送信してきた。
 スコットが地表から1.5m以上深くドリルで穴を開けられなかったということは大変な発見である。このことは地表からわずか下が固い岩盤になっていることを意味している。
 スコットとアーウインは、月面活動の1日目が終わって疲労困ぱいした。2人とも管制センターの質問に答えたり、月軌道上の司令船にいる同僚ウオーデンとお喋りするまで何にも口をきかずに食事をとった。
 
 8月1日、日曜日の朝3時44分、2回目の月面車による横断を行った。彼らはアペニン山脈に沿って、記録的な7時間13分のドライブをやってのけた。彼らは歓喜に満ちた様子で交信をしてきた。「お目当てのものを見つけたぞ!」 つまり、月誕生後間もないころに形成されたと思われる結晶岩石を発見したのだ。「いわゆるジュネシスロックである」


 クリック:ジュネシスロック
 くまで型採取棒        ジュネシスロック



 8月2日、彼らは月面車に乗って3度目の、そして最後の探検に出かけた。彼らは岩石標本を採ってくるためにドリルで穴を開けた場所へ行った。スコットは穿孔したドリルを抜くのに苦労した。地球の管制センターに、彼らが息を切らして仕事をしている様子が伝わってきた。彼らは堪えがたい状態になっていた。そこで管制センターは指示を送って最後のセクションを中止させ、帰り道に標本を拾うようにした。
 宇宙飛行士たちは着陸船ファルコンに帰り、再び内部の気圧を上げた。司令船パイロットのウオーデンは月軌道を周回していたが、すでに彼は32周目に入っていた。機械船の外側には2台のカメラが取り付けられ、1台には1600mのフィルムがは入っていた。
 8月2日は忙しい1日だった。スコットとアーウインは月面車にテレビカメラをセットし、着陸船の離陸の様子を月面から見られるようにする必要があった。
 月面に67時間滞在した後ファルコンは離陸し、火花と破片の雨をまきちらした。地球の見物人はテレビ放映が短くて満足しなかった。というのはヒューストンが月面車カメラでの宇宙船の上昇を追うのを拒んだのだ。実際にカメラは、その後2日間も実況放送を続けていたというのに・・・。
 2台の宇宙船は結合し、スコットとアーウインは司令船エンデェバーに乗り移った。ファルコンは切り離され、月面への衝突コースへ入った。

 ウオーデンは月軌道を1人で3日間飛行している間に、レーザー高度計を使って月の外形を測定し、月がゆがんでいることを立証した。
 エンデェバー号は8月7日、地球の120km上空で大気圏に入った。8分後にパラシュートの1つが開き、さらに1分後メインのパラシュートの2つが開いた。着水場所はハワイから5000km離れた北太平洋の洋上だった。






月着陸船ファルコンハドリー平原に設置されたALSEPの月震計

残された疑問点

 月着陸船ファルコンは切り離されて任務の最後に科学へ大きな貢献をした。ALSEP地震計から70Km離れた月面に衝突させられた。この時の衝撃は2000万m・kgであった。地球上なら、この衝撃は小微動として約2分間記録されたであろう。しかし、地球物理学者たちは月への着陸船衝突の結果に仰天した。衝撃波は月面上の地震計で55分もの間。記録されたのである。ラモンド調査研究所のモーリス・ア-ウイング博士はこう述べている。「これは、誰かが教会の鐘突き堂で1回鐘を鳴らしたら、55分間鳴りつづけたようなものだ」 これは何を意味しているのか?

『月の先住者』の著者ドン・ウイルソンはNASAのゲーリー・レイサム博士の見解を次のように紹介している。「地震計のとらえたデータによると、月の内部深くに2本のベルト「梁(はり)」の存在を察知した。2本のベルトは、少なくとも長さは1000Km、深さは1000Kmあって、互いに交錯していない。それも巨大な分裂組織ではない。なぜならば、月振動と潮汐作用との規則正しい相互関係が存在しないからである。たとえばベルトが鉄のようなもので出来ているので、月の他の部分のように弾力のある特性は備えていないことも考えられる。
 アポロ計画の最高責任者、故ブラウン博士の言葉も紹介している。「振動は15マイルの深さまで徐々に伝わり、そこから極端に加速される。この急激な加速は、内部物質の密度の差から来るものである。40マイルの深さでは速度は何と毎秒6マイルだが、40マイルの地層圧力を受けていると思われるどのような岩石でも、毎秒6マイルもの速度の振動は伝えない。どのような物質が、このように振動を遠くまで伝搬させるのであろうか」
 NASAの科学者たちは入手したデータに基づき月の模型を製作した。ところが出来上がった模型は、表面は固い物質で被われているが、内部は空洞でチタニュウムで出来た球体が最も適していたのだ。どうも「月」は内部が空洞の「構造物」ではとする説も充分妥当と考えられるのだ。



月面からのカメラが2日間も実況放送を続けたのにヒューストンが月面車のカメラで宇宙船の上昇を追うのを拒んだのはなぜか。

NASAに長年勤務していたスタントン・フリードマンは次のように指摘している。「アポロからのテレビ電波は秘密の周波数でヒューストンへ直接送られ、検閲によってNASA外部では見ることの出来ない部分がある。省略するところは省略してヒューストンから全国へ放送されるわけだ。ジェミニ計画やマキューリー計画の時は会話はまったくオープンで、たやすくハム愛好者たちにも受信できたものだが・・・」
 月からのテレビ中継は、時間差を置いて一般に放映されているが、おそらくアポロ15号の時は月上空に多くのUFOが飛び交ったために、2日間もの長時間放映では、いつカメラのフレームにUFOが入ってくるか分からない。それをヒューストンが恐れたとしか思えない。他に拒む理由は存在しない。ドン・ウイルソンによると、NASAの地上司令室に収録されている記録には、アポロ15号のジム・アーウインとデビット・スコットが、月の上空を一瞬で飛行するUFOをみたとはっきり証言している。


NASA PHOTO No.15−90−12189−90、12210

    
アポロ15号による月面上のUFO連続撮影






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