「契約の箱」見つかる4!?
Found Out Ark Of The Covenant4
!?




ロナルド・ワイアットは数年がかりの困難な発掘により、イエス・キリストに関する聖書の記述ーー処女降誕から十字架上の死、そして復活を全て実証したばかりか、イエスがユダヤ人にとってのメシアであったことの決定的証拠を手にしてしまった。
その意味するものがあまりに大きな問題をはらむものであったため、イスラエル当局は、この発見に関して厳重な箝口令(かんこうれい)を敷く一方、契約の箱(アーク)発見とともにソロモン第3神殿建設の可能性のニュースが伝えられた場合の国民の反応をテストしたという。
その結果、今なお記憶に新しい「1990年10月8日の神殿の丘の大虐殺」が起こる。
岩のドームの直前で、怒るパレスチナ人たちと第3神殿建設を求める極右組織に煽られたユダヤ人たちとが、大流血事件を起こしたのだ。イスラム教徒21人が殺害され、ユダヤ人を含む
150人が重軽傷を負った。この時アラブ諸国は「聖戦」をも辞さない構えを見せた。
このような事件が起きる最大の原因は第3神殿を建てる場所にある。契約の箱(アーク)発見されたならば、即座にそれを納める第3神殿が現実のものとなる。
注意* 
その場所はかつてのソロモン大神殿が建てられていた丘以外にありえない。

しかしその丘は
イスラム教の第3の聖地であり、マホメッド昇天の場所と喧伝される「岩のドーム」がたちはだかっており、ユダヤ教徒にとって何としても取り除かなくてはならない邪魔な建物なのである。
契約の箱(アーク)は世界の火薬庫といわれる中東に大爆発を起こしかねない。
この事件以降、ロナルド・ワイアットの発見は、イスラエル政府によって当面機密扱いされることになり、発掘あとは完全に埋め戻されて封じられたばかりか、ネタニヤフ首相により、エルサレム周辺の発掘が凍結される事態までに及ぶ。




第3神殿建設予定地

「1990年10月8日の神殿の丘の大虐殺」を伝える新聞記事
  



注意
1996年に注目すべき論文が発表された。「The Ark of the Convenant:
Where It Stood in Solomon’s Temple’,Biblican Archaeology Review.
Jan.Feb.1996.
論文の著者のリトメイヤ−によると、岩のドーム内、基礎石の上に、「出エジプト記」に記載された契約の箱(アーク)の寸法と一致するクリック長方形のくぼみが有るという。
リトメイヤーはソロモン神殿の至聖所の位置を正確に割り出し、その中心に、そのくぼみが有ることを証明している。





契約の箱(アーク)の眠る洞窟は堅く閉ざされた。





ヨハネの黙示録11−19 「あなたの御怒りの日・・・死者の裁かれる時・・・それから、天にある、神の神殿が
開かれた。神殿の中に契約の箱が見えた」とあるように、契約の箱(アーク)の存在が見えたというのは、神の
御怒りの日が近い何よりの証拠かもしれない。

参考文献 徳間書店 Jonathan Gray 契約の櫃 Ark Of The Covenant






RON.WYATT

アメリカの世界的に著名な探検家・考古学者、

聖書の記述に関する史跡発掘調査で功績をあげた。









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