広島・長崎原爆投下の秘密

フリーメーソンのエンブレム

「いったい誰が原爆開発を許可し、誰が広島・長崎に原爆投下を決定したのか?」アメリカの作家でジャーナリストでもあるユータス・マリンズの記事が雑誌「サイバーX」に掲載されている。マリンズは、真の犯罪者は次の二人だったと主張する。
 一人は、アメリカを原爆開発に踏み切らせたアルバート・アインシュタインで、もう一人は広島・長崎に原爆投下を決定したマンハッタン計画の責任者J・ロバート・オッペンハイマーだったという。両者ともにユダヤ人である。
 アインシュタインはアメリカに亡命すると、まず同胞のユダヤ人であるトルーマンを大統領にすべくミズーリ州でフリーメーソンの組織化に尽力した。「パレスチナにユダヤ人国家を建国するため、私はユダヤ人としてシオニストの活動を支持する」というアインシュタインの言葉が「アインシュタインの時代と生涯」という本に残されている。イスラエルのアメリカ大使アバ・エバンは1971年、「アインシュタイン教授は、世界の良心がイスラエルの生存とかかわるべきだと語った」とその回顧録で述べている。
 アメリカを原爆開発に踏み切らせたのは、アインシュタインの書簡(1939年8月2日付け)をロシア出身のユダヤ人アレクサンダー・サックスが、ホワイトハウスのルーズベルト大統領へ届けたことが発端という。アインシュタインはロスチャイルドと親交があり、この手紙をみたルーズベルトは、原爆開発の計画をロスチャイルドが承認し、大至急、遂行せよと言っている意味が明確に読み取れたという。
 こうして原子爆弾は、ニューメキシコ州のロス・アラモス研究所で突撃計画なみに開発された。開発に携わった科学者の多くはニューヨークのユダヤ人居住区マンハッタン在住者だったため、この秘密計画は「マンハッタン計画」と呼ばれた。指導者はユダヤ人の大富豪バーナード・バルークで、責任者も同じくユダヤ人でアインシュタインを師と仰ぐ科学者、J・ロバート・オッペンハイマーである。
 1945年7月16日午前5時29分45秒、ロスアルモスの南200マイルで最初の原爆が炸裂した。この光景にオッペンハイマーは狂喜して、「私は死神、世界の破壊者」だと叫んだという。ユダヤ人の5000年にわたる欲望、「全人類を支配する究極の力」をついにユダヤ人が獲得したことを知ったからである。そしてオッペンハイマーは、原爆投下は日本に警告なしに行われるべきだ、と主張した。アインシュタインはユダヤの大財閥バルークとともに、京都を原爆の最初の血祭りにあげるべきだと主張したが、スティムソン陸軍長官は、「京都に何ら軍事目標はなく、由緒ある木造寺院が数百ある」と言って猛反対したという。実はアインシュタインとバルークは、京都が日本国民にとって深い文化的意義をもっていたというまさにその理由によって、京都の破壊を求めていたのである。
 オッペンハイマーは引退後、師アインシュタインがロスチャイルドに頼んで創らせた秘密財団のシンクタンクの理事を務めている。また1999年3月22日のニューヨーク発の新聞報道によると、米誌「タイム」は3月20日、20世紀で最も影響力のあった「偉大な知性」100人」の中で、アインシュタインを第1位に選んでいる。



フリーメーソンの大統領
フリーメーソンの位階図








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