月面上の謎、天文学者からの声


昔から学者の間で動くものが全く存在しえない月面における不可思議な現象については数多く語られてきた。その例を下記にあげて見よう。



 『イングリッシュ・メカニック』(第28巻) 1879年12月20日 P369の中で、リンゼイ卿はヒギヌス・クレーターの近くを描いた一連のスケッチを提示しており、それらは20分間で完全にその外見を変えた模様を示したものである。地上の28分の1の速さしかない太陽高度の変化に原因を求めるにはあまりにも急激な変化である。ヒギヌス近辺では他にも多くの変化が報告されている。特に、暗くて輪郭のはっきりしない地点で見られるわけだが、そこは表面が明らかに平坦で高さも深さもないように見えるのだ。

 『天文学の記録』(第16巻 P35−37)の中で、ネイソンが王立天文協会へ宛てたヒギヌス−Nの発見を語る報告の写しが掲載されている。ヒギヌス−Nが存在する地域はシュレーターによって10回、ローマンによって10回、ジュリウス・シュミットによって15回、ネイソン自身によって何度もスケッチされている。これらの最高水準の観察家たちはすぐ近くに幾つかクレーターを見つけたが、今日では目立つ物体であるヒギヌス−Nは見付けていない。それなのに保守的な人たちはヒギヌス−Nは「最初からそこにあった」と言い張っている。

ヒギヌスとヒギヌス−N 月面で最も論議をかもし出す場所のひとつ、煙のような蒸気が出て専門の観察家の目にも工業的活動と映った。
      

同じ観察家がヒギヌス地域を24時間あけて描いたもの。ヒギヌス−N付近の大きなリング状の物体が消去、別の2つが忽然と現われているのに注意。ヒギヌス-Nの変化にも注意。



 1879年、「途方もない10年間」の中における王立天文協会での講演で、バートはヒギヌス近辺の地域の研究を呼びかけた。グーデッカーがヒギヌスの南西の既知の暗斑を研究していたところ明斑を2,3個見た、とバートは発言している。これらはバートが示唆したところによれば、1時的な存在物であった。

 『天文学の記録』(第17巻 P144)の中で、N・E・グリーンはヒギヌス−Nをクレーターというより斑点と呼び、その明るさは夜毎変わると述べている。−「明らかにクレーターとかくぼみとかいうものでない・・・そうではなくクレーターの色というより斑点の色のように見えるが、太陽が昇ると消えるので(クレーターとかくぼみ)そんなことはありえない」

 『イングリッシュ・メカニック』(第28巻 P562)の中で、バートは、ヒギヌス近くの地域で一晩という時間的間隔の間に急激な変化があったという強い兆候があると述べ、幾つかの地域では30分の間に目立って黒さが増加したのを認めた。ヒギヌス−Nは変化が特に顕著で、午後6時45分から8時までの間、見えなくなった。これは一時的活動をかなり示唆するものだ。同じ刊行物の中で(P605)、キャプロンは1879年11月2日、12月4日、1879年1月4日、ヒギヌス−Nの大きさに相当の変化があったことを報告した。12月4日には、近隣の物体は鮮明だったのに、ヒギヌスーNとアグリッパ・クレーターは、もやがかかっていて焦点を合わせにくかった。この記事と共に発表されたスケッチは変化を示している。1879年11月2日ヒギヌス−Nはクレーターとして描かれたのに、1月4日には白い環として示され、大きさも大きくなっていた。何を意味するのか?

 7−80年たった今でもヒギヌス−Nの突然の出現の実態に関しては未だに意見の一致が見られないが、それを肯定する証拠が圧倒的であるため、劇的変化とクレーターの突然の出現が裏付けられる。ヒギヌスーN近隣の影のでき方や色合いの変化が現実であることは、ほぼ議論の余地がない。影、或いは植生のある地域に似た暗斑が現れては消え、あるいは又、急速で予想もつかないやり方で濃淡と形を変える。ヒギヌスーNの劇的な月面への登場について何かが語られ得るにしろ、その地域での変化は確定的だ。





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