原爆の怖さ!悲惨さ!
NO MORE HIROSHIMA,NAGASAKI
広島被爆について、軍は翌7日午後3時半にようやく事実を発表し、国民は8日付け朝刊で”新型爆弾”の登場を知った。9日付けには”非人道”、”悲惨”な爆弾への防御心得などが解説され、10日には”熱線爆弾”の名が使われて、その威力が述べられている。
11日付けにはじめて”原子爆弾”の名が使われるが、それはトルーマン米大統領がラジオ放送で、秘密兵器の”原子爆弾”を日本に投下したことを述べた旨のチューリッヒ発外電の記事の中に登場したためである。
なお、被害状況について、8月15日の敗戦直後しばらくは盛んに報じられるが、やがて占領軍による検閲・発禁が行われるに至る。
原爆投下2分後:
8時17分の原子雲
水分峡から撮影(爆心地から東北東7Km)
山田精三撮影
広島で炸裂した原子爆弾 ”リトル ボーイ” (ちび)
長崎で炸裂した原子爆弾
”ファットマン” (でぶ)
米軍機投下のラジオ・ゾンデ
原爆炸裂の直前に、高空を飛ぶ随伴機から落下傘につけられて投下された無線装置。
熱戦温度や爆圧などを測定・送信し、グアム島の通信司令部がこれをいち早くキャッチし、、原爆投下の成功を知った
クリック:テニアン島からの経路
投下命令書
戦略爆撃軍司令官スパーツ宛の参謀長代理T・ハンディの文書。戦後の文書公開にともなう抹消・押印がある。
クリック:拡大
『8時15分 −原子爆弾投下。43秒後に閃光。衝撃で機体傾く。・・・巨大な原子雲』
『9時−原子雲が見える。高度12.000m以上』
広島原爆投下機 エノラ・ゲイの乗員の一人が記したその瞬間の航空日誌である。
真夏の太陽を受けて不気味に光る”巨大な原子雲”の下に、核の時代の原点となったヒロシマがある。
クリック拡大:被爆後の広島市の中心部
続く がれきの山、焼け野原へ
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