パープル暗号機



1939年、日本は外交通信の手段として改良型暗号機を使い始めた。日本で97式欧文印字機と呼ばれたこの機械は、アメリカでは暗号名「パープル」として知られていた。パープル暗号機は、暗号名「レッド」という初期の暗号機の改良型だった。
アメリカの暗号解読者は、レッド暗号に関しては完全に解読していた。そこで今度は暗号研究者ウイリアム・フリードマンと米陸軍通信情報部が、この新しい暗号解読に乗り出した。暗号解読者は、レッド暗号とパープル暗号の二方式で作成された電文を傍受し、これを解読の手がかりとした。
ふた通りの方式で送信されたこの電文と、傍受した他のパープル暗号電文だけをたよりに、解読班はパープル暗号機の模造にとりかかった。
当時の電話技術の一つであるステッピング継電器を使ってみた時に、突破口が開けた。偶然にもこの継電器はパープル暗号機の継電器とまったく同じ機能を果たしたのである。
1940年の末頃には、フリードマンと米海軍暗号解読班は、パープル暗号機の模造に成功していた。
この暗号解読機のおかげで、暗号解読の時間の余裕が生まれ、真珠湾攻撃の前日にワシントンの日本大使館に送信された日本の宣戦布告はアメリカ国務省に提出される以前に解読されていた。














William Freedman(1891−1969)
                   第二次大戦後は、信号情報収集と、
                   暗号作成組織である、
                   National Security Agency(NASA)
                   国家安全保障局で、
                   多大な業績を残した。





参考文献:spybook H.Keith Melton
       朝日新聞社  











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