広島原爆 被災した人々(1)





被爆3時間後の御幸橋(1)
爆心地から南南東2.2Km


市中心部の火災を逃れて非難してきた人々。衣服はぼろぼろになり、皮膚がたれさがった人や、一歩も歩けなくなった負傷者が歩道をうめていた。
(松重美人撮影)




























御幸橋(2)

ここに偶然居合わせた警官(中央)が配給用の食用油が近くの幼稚園にあるのを思い出し、それを持ち出して油を塗る応急手当を始めた。向こうの建物は千田町3丁目交番。

(松重美人撮影)




































爆心地から380mの富国生命ビル前のトラック

臨時救護所のトラックの上に横たわる人々。

(宮武甫撮影)





























爆心地から380mの富国生命ビル前のトラック

水を飲む気力を失った少女に、水を差し出す人

このトラックは臨時救護所で、赤チンと軟こう、チンク油や食用油などで火傷の応急手当がなされた。

(宮武甫撮影)




























7年後の発掘
昭和27年7月、安芸郡坂町の5ヵ所から、252柱が発掘された。
(中国新聞提供)























続く広島原爆 被災した人々(2)







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