リトル・ベブル LITTLE PEBBLE






 リトル・ベブルは1950年5月16日、西ドイツのケルンで生まれた。その4年後、一家がオーストラリアへ移住したため、彼はオーストラリアで育った。家族は熱心なカトリック信徒だったが、中でも母親は人一倍信仰心の厚い人で、彼はその母親の影響を受けて育った。
 本名はウイリアム・カム。リトル・ペブルとは、聖母から付けられた呼び名であり、「小石」という意味だ。
 1986年5月10日、彼が聖母から受けたメッセージには、「この愛するわがリトル・ペブルは、『黙示録』に示されております」と告げられているように『黙示録』に預言された人物でもある。「勝利を得る者には隠されていたマンナ(出エジプト記に出てくる天から与えられた食物の名前)を与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、それを貰う者の他には誰も分からない新しい名が書いてある」「ヨハネの黙示録」第2章第17節にはそう記されているが、「隠されていたマンナ」とは正しい信仰を持つ者が受ける神的生命の象徴であり、「小石」とは、神によって選ばれ、内的に生まれ変わった人の名を示しているという。そしてその人物を受け入れる者でしか分からないこの預言された人物が今後担うことになっている重大な役割の名前が書かれてあるというのだ。
 ウイリアムが17歳になった1968年、彼はウーロンゴングのカテドラルでミサを受けた後、初めて不思議な体験をした。それは一人で祈りを捧げている最中に起こった。突然、彼に強い命令するような口調の声が聞こえて来たのである。「天の御父が使命を委ねられる。あなたは御子イエスの再臨を見るまで生きるだろう。そして反キリストと戦い、ひどく迫害されるだろう」という内容のものだった。それからというもの、数々の不思議な出来事が続いたが、中でも1974年8月14日(聖母の昇天の祝日のイブ)に、彼はサン・ダミアノで、聖母の出現を受けているローザ・カトリーニより、なぜか聖母から祝福されたローズ・ペタル(聖母出現のときに聖母が直接に祝福するバラの花びら)が送られてきた。その手紙にはこう書かれていた。「天の元后なる聖母マリアは、あなたに祝福を贈っておられます」と。それだけではない。1979年10月6日(ロザリオの聖母の祝日のイブ)に、今度はニューヨーク・ベイサイドで聖母の出現を受けているヴェロニカ・ルーケンより同じようにローズ・ペタルが送られてきたのである。そして、その年の11月に入ると、ウイリアム・カムは聖母マリアからローキューション(内的語らい)を受けるようになった。それはいつも同じ内容のもので、「ベイサイドへ行きなさい」というものだった。
 12月28日、彼は厳冬のニューヨークを訪れ、数週間ベイサイドのワーカーとしてボランティア活動をしたあと、オーストラリアに戻ってきて、ベイサイドの聖母マリアのメッセージを広めるようになったという。それから聖母のローキューションは頻繁になり、1983年から本格的に聖母マリアの出現を受けはじめるようになったという。

 ただ、彼がこれまでの聖母出現を受ける人たちとややおもむきが違う点は、この「黙示録」の時代、聖母マリアのために働くすべての関係者と、世界中の聖母出現地をひとつに繋ぎ、天からのメッセージがすべての場所で同じように重要であることを証明することにある。それが聖母から与えられた使命だという点だ。

 リトル・ペブルによれば、彼と同じように聖母マリアの出現を受けている幻視者は、彼が来日した1987年時点で世界中で72人いるという。つまり彼はその関係者たちをひとつにまとめる仲介者の役割を担っているという。また彼にはもうひとつ重要な使命がある。それはそうした人たちの祈りの一致によって、この数年のうちに現れる反キリストと戦うという使命だという。そしてその反キリストとその追従者たちを地獄に封じ込めるキリストの再臨まで、リトル・ペブルは生きるであろうと告げられているのである。彼はそんな自分の使命を果たすため、スペイン、ポルトガル、イギリス、レバノン、オランダ、ドイツ、ベルギー、カナダ、ハワイ、アメリカ、イタリア、インド、シンガポール、日本など世界中を駆けめぐっている。




聖母マリアから「特別の教皇」と告げられているヨハネ・パウロ2世
この教皇の去就が、人類の未来の運命の鍵を握っていることに間違いない。






























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