ファティマの奇跡と聖母預言






聖母マリアが、ある特定の選ばれた人物の前に現れてメッセージを告げる「聖母預言」が始まったのは、残っている記録によれば、5,6世紀ころからである。このような聖母出現は記録に残っているだけでも数千に及ぶ。

聖母預言抜粋

1531年 メキシコ 、ホアン・ディエゴの前に聖母出現の事件
1830年 フランス パリ 、ゾエ・チャサリン・ラブレの前に聖母出現の事件
1846年 フランス ラ・サット、マキシマン・ジローとメラニー・マシューの前に聖母出現の事件 「ラサット36の告知」 終末預言
1858年 フランス ルルド、ベルナデッド前に聖母出現の事件 有名な「ルルドの奇跡」 「ルルドの聖泉」









説明:クリック
1871年 フランス ポンマン ユジューヌ・バルブデット、ジョセフ・バルブデット、フランソワーズ・リシェ、ジャンヌマリ・ルボセの前に出現



1961年 スペイン ガラバンダル コーンチータ・ゴンザレス以下4人の前に聖母出現の事件 述べ2000回出現 人類滅亡の警告
1970年 アメリカ ベイサイド ベロニカ・ルーケンの前に聖母出現の事件 第4次中東戦争 、ヨハネ・パウロ襲撃事件、火山爆発、大地震
1981年 ボスニア・ヘルツエゴビナ メジェゴリエ イワンカなど6人の少女の前に聖母出現の事件 4000回出現 人類滅亡の警告





1917年 ポルトガル ファティマ ルチア、ヤシンタ、フランシスコの前に聖母出現の事件 

バチカンは長い時間をかけてこの事件を調査した結果、13年後の1930年10月13日、司教書簡「神の摂理」を厳かに発令し、ファティマにおける聖母の出現は信じるに値するもので、ファティマの聖母に対する信心を許可すると言う異例の宣言を行った。本物の神の奇跡と認定され、ファティマの地はカソリックの聖地として正式に認可された。その場所に世界で最も有名な大聖堂が建てられ、毎年、記念日の5月13日には、カトリック教徒が何百万人も参集する。

 

1917年10月13日の太陽の大奇跡を報道するポルトガルの新聞
ファティマから遠く離れた場所からも目撃された。正真正銘の奇跡
10万人が目撃した。



    


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1回目の出現(5月13日)
 事件の主人公になったのは、ルチア・ドス・サントスという10歳の少女と、少女のいとこにあたる9歳のフランシスコ・ペトロ、7歳のヤシンタ・マルトの3人である。1917年5月13日、ルルドの奇跡から59年後、3人はルチアの強い衝動に導かれて父親の所有するコーバ・ダ・イリヤという場所に向かった。時刻は正午頃で、晴天であったが、突然強い稲光がしたかと思うと、激しいつむじ風がまき起こった。3人は恐ろしくなって坂を下ってヒイラギの木の近くまで来たとき、またさらに強い光がひかった。まぶしい光に3人は目がくらみ立ちすくんでしまう。光はすぐ消えることはなくとどまっている。ふと見上げると、光に包まれた若い女性がたっていた。彼らの驚きは最高潮に達したが、やさしい声が響いた。「何も怖がることはありません。私は天国から来ました。」その声にうながされて顔を上げると、まさに聖母マリアの姿をした貴婦人がそこにいた。純白のドレスを着て、金色に縁取られたベールをはおり、右の手首にはロザリオ(十字架付きの数珠)をかけていた。その清らかな声はさらに続いた。「世界が平和であるように、毎日熱心にロザリオの祈りを唱えなさい」 そして3人のこどもに毎月13日の同じ時刻、この場所に現れることを約束して光りに包まれた雲と共に、東の空に飛び去っていった。














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